コーネル大学・ホテルスクール留学記

コーネル大学ホテル経営大学院で学んだ記録です。

日記:graduation week

今週はgraduation weekだ。カレッジ・タウンの至るところで引越しに備えて荷物の出し入れをしている学生とその親たちを見かける。それに加えて、学生は最後のget togetherと春の日差しを楽しもうと、朝から下宿のバルコニーで日向ぼっこをしながら酒を仰いている。僕のクラスでも毎日のようにBBQや飲み会が開催されて、残された時間を惜しむようにイベントが盛りだくさんだ。

MMHの来年度の学生もイサカに到着した。今年度は日本人が2人いて、他の国では例年とても多い中国人が今年は少ない。話を聞く限り、今年は、なんとなくレストランでキャリアを積んできて、マネジメントサイドにキャリアチェンジをしようとする人が多いように感じた。ただ、20代の若さで自らIT関係で起業して遠隔で働きながらコーネルで学位を取ろうとする人だったり、自国で典型的なビジネスエリート・コースを辿ってきてもともと興味のあったホスピタイティ関係にキャリアシフトする人など多様なキャリアを辿ってきた人もいる。
graduation weekでは、新しいMMHはオリエンテーションを受けつつ、今年度卒業するMMHの学生といわゆるネットワークイベントで交流をしている。僕はというと、一年アメリカで過ごして、最初抱いていた英語力のコンプレックスはほぼなくなったし、強く意識していた人種グループについてもそこまで気にしなくなってきたのもあり、新しい学生にはどの場でもこちらから話しかけるようにした。欧米社会特有の立食形式のスモールトークから少し踏み込んだ話をして、そこまで盛り上がりそうになかったら適当なところで切り上げるの繰り返しもそれなりに板についてきたと思う。

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ワイナリーでのワインテイスティング・パーティー

graduation weekに入って、もうassignmentに追われることもなく時間に余裕ができたからか、一人で考え込むことが多くなった。slope dayあたりまでは、コーネルやイサカを離れる感傷と、夏の計画にに対する興奮の感情が大きな位置を占めていたけれど、graduation weekの感情はそれとはまた別のものだ。なんなんだろうとよく考えてみると、「孤独」なのではないかと思う。

米国人や留学生の友人も多くいるし、ホテルスクールでの僕を知る人で僕が孤独を感じていると考える人はほぼいないだろう。パーティーに行けば、渡米当初のように怪しい英語で取り敢えずノリでなんとかするということもなく、ジョークにスモールトークや深い話も混ぜることができることから、客観的に見てパーティーでは周りからもチヤホヤされていると言ってもいいと思う。そのような場ではやはり一時的に孤独を感じることはない。でも、パーティーの喧騒を離れて家に帰ると、ベッドルームではなぜか孤独をひしひしと感じる。なぜだろう?なぜせっかくの楽しいgraduation weekを楽しめず、塞ぎ込んでいるんだろうか。

一つは、やっぱり人種や言語で超えられない壁があることを再認識したからだと思う。クラスメイトとはいい関係性を保っているし、一年一緒に過ごしてグループ化してきた中でも、色々なグループからパーティーに声がかかるという点ではクラスでも珍しい立ち位置だと思う。他方で、正直に言うと同性の親友はいないな、とも思う。クラスメイトでも、本当に親友と呼べる関係性を築いているのはやはり人種・言語・セクシャリティが共通する人たちだ。パーティなどで楽しく話をしたりしても、さて家に帰る時間になるとこのような親友の単位で行動することが多く、何とも言えない疎外感を感じる。それに、小さいことのようだけど、SNSでそのような親友の単位を見せつけられると、必要以上に鬱ぎ込むこともある。

孤独を感じるもう一つの理由は、夢中で取り組む目標が一時的になくなってふわふわした状態になっていることもあると思う。夏は英語とファイナンスに四苦八苦していたけれど、ファイナンス、オペレーション、マーケティングなどのビジネスの基礎と英語力をつけるという明確な目標があった。秋と春は、アカデミックも夏の間に築いた英語とファイナンスの基礎をもとにホスピタリティの特定分野を追究することができたし、僕は単身での留学だったのでプライベートでもそれなりに楽しめた。いや、かなり楽しんだと言ってもいいと思う。そんな中、突然、卒業と言われて授業や近い存在の人から離れるとなると、結局アメリカでは大学という場を取り上げられると、何もできないし、何ももっていない人間なのだということを思い知らされる。

そもそも留学の目標は何だったのかなと思う。個人的には、1)20代の終わりに今までの経験を一旦仕事から離れてwrap-upしたいということと、2)ビジネス基礎科目のハードスキルを持っていないことからこれを勉強すること、3)ホスピタリティ関係のネットワークや先進的な知見の潮流を理解すること、4)純ドメだったので同世代の(日本人以外の)友人と(プロフェッショナルな関係でなく)交流して欧米的なコミュニケーション能力を上げることだった。1)から2)はこの一年間で目標を達成したと言ってもいいと思う。ただ、3)と4)に関しては消化不良というのが正直なところだ。ネットワーキングをしなかったとか、友達付き合いが悪かったということではなくて、それなりにこれらが進歩したことは確かだけれど、それぞれ外部環境という自分ではコントロールできない部分に大きなウエイトがあるので、一年間終わってみて質・量ともにもっとできただろうという思いが強い。

さらに翻って、目標ってなんなんだろうとも思う。目標関連でいうと、日本でも、経済産業省の若手・次官プロジェクトによる「不安な個人、立ちすくむ国家〜モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか〜」というパワポが話題になっているけれど、アメリカでも同様に「目的意識(sense of purpose)」というキーワードでザッカーバーグが先週ハーバードのcommencement speechを行った。日本でも、アメリカでも、一般的に個人がモデルとなる目標を失っているのは同じのようだ。

僕自身に戻って考えてみると、ハードスキルの部分で的な部分での目標は達成したけれど、それはまさにモデルとして与えられた到達点がある目標だから、これを到達するのは当たり前のことだ。MBAで教えられるハードスキルに稀少性があった20年前のMBA留学であれば、ハードスキルの部分だけ達成できれば十分だろう。ただ、米国のビジネススクールで教えられるハードスキルを日本でも問題なく得ることができる現在では、留学自体の目標の置き方も単純ではありえない。僕が設定した外部環境に依存する目標もそれ自体に決まった到達点などはなく、この一年の経験をどのように次に生かしていくのかは自分次第だ。ザッカーバーグのいう次の次元の目標sense of purpose for othersを果たして僕が作り出す事ができるか、それは卒業後に留学の真価が問われるのだろう。

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困ったときは、極力何も考えないようにしてslope周辺を歩きまわった。

孤独を噛みしめたgraduation weekだけれど、明日は日本から親が来て、土曜日はJoe Bidenによるconvocationとプログラムのパーティ、日曜日はいよいよcommencementだ。commencementが終われば、すぐイサカを立つことになっている。今週末は孤独なんて感じる暇もなくただ時間は過ぎるだろうけれど、後になって振り返って、イサカで孤独も感じた日を懐かしく思える日が貴重に思える日が来て欲しいと思う。